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NINJA
2025/07/12 (Sat)
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2011/03/14 (Mon)
昔から、俗に“太っている人は不感症”と言われていますが、これには何の根拠もないと考えている人もいれば、実際にそのとおりだとおっしゃる方もいて、意見は分かれるところです。

そもそも「不感症とは何か?」という定義から入らなければなりません。一般的にはセックスでイッた経験のない人、あるいはイキにくい人、くすぐったがらない人などのことを示すようですが、これらには個人差が非常にあるので、「肥満=不感症」とは一概に言えません。ですが、イメージ的に太っている女性のほうがやせている女性よりも不感症だという感じが確かにします。このことについて科学的に迫ってみたいと思います。

肥満には不感症ED治療のイメージがあるのはなぜだろうか?不感症の何が悪いのだろう?その前に、女性が不感症であることの何が不利なのか疑問に思う方も多いはず。不感症であるからといって生活に困ることはないのですから。ですが、セックスの悩みで「感じないこと」を挙げている女性が少なくないことから、不感症には何か不利になる要素があるに違いありません。

ここで人間という動物の特徴を考えてみましょう。人間はオスが子育てに参加し、多額の労力やお金をかけます。結婚とはいわば「あなたと生まれた子どもを一生養育する契約」です。この契約を彼氏と交わせばあなたはかなり安定した子育てライフを送ることができます。だからこそ結婚は女性にとってとても重要と言えます。

さて、これを極めて動物的な解釈で言うと、「セックスをさせてあげる代わりに、できた子どもに経済力や労力をきちんと注いでね」という契約となります。非常に極端な言い方をすると、セックスの代価として男性はその後の一生の賃金を注ぎ込むことがわかります。ならば、セックス自体が男性にとって、とても魅力的なものであれば、その代価は大きいものとなるはずです。

平たく言うと、セックスが魅力的なら男性にしっかり愛されるということです。だから女性にとってセックスは単なる粘膜のこすりあいであってはならないのです。男性を酔わせて、一生賃金を注ぎ込んでもいいと決心させるほどに素敵なものである必要があるわけです。だからこそ、不感症が問題となっているのです。男性が必死になって女性を喜ばせようとしているのに、女性が不感症で冷凍マグロのような状態であったら、陶酔するようなセックスになりにくいからです。

そのような理由があってかなくてか、女性は大なり小なり不感症のことを気にするようです。

■性感を司るホルモンDHEA
まず女性を発情させるホルモンの最高責任者としてエストロゲンが挙げられます。このホルモンは性欲をアップさせるホルモンでもあり、女性の胸を発達させ、お腹の脂肪沈着を抑えて、ボン、キュッ、ボンという体型を作ります。

ところがこのエストロゲンにも増して、性欲をアップさせ、性感をアップさせるホルモンが存在します。それが「DHEA」(ジヒドロエピアンドロゲン)と呼ばれるホルモンです。このホルモンは主に副腎というところで作られ、性衝動を作る媚薬として体内に存在しています。女性の排卵が終わって、エストロゲンが急降下する更年期にも性欲が存在しますが、それはこのDHEAのおかげだと考えられています。

DHEAは思春期に急上昇し、25歳でピークを迎え以降徐々に低下していきますが、思春期に積極的な性衝動が起こるのもこのホルモンが一役買っています。実はこのホルモンが性感と密接な関係があるのです。そして肥満との関係も……。DHEAが存在しなかったら性感が激減する

不幸にもガンなどの病気で卵巣を摘出されてしまったら、女性はエストロゲンの分泌が激減してしまいます。しかし、それでも性感や性欲は残ったままです。その理由はDHEAがあるからです。ところがさらに副腎も摘出された女性は、手術後性欲や性感がまったくゼロに近い状態になってしまうことがわかっています。したがって、DHEAは性欲や性感にとても重要なホルモンであることがわかります(DHEAは主に副腎で作られるから)。

さらにDHEAは汗や尿にフェロモンとして排泄されるのをご存知でしょうか? これはダイレクトに男性を発情させる効果があるようです。つまり、男性をひきつけるホルモンとも言えるわけです
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2011/03/14 (Mon)
性的な不感症の原因は、精神的な問題と神経生理学的な問題に分けられる。両者が密接に関係して起こる場合もある。女性の場合は性的刺激で興奮しない・オーガズムに達しないものだと一般に言われている。男性の場合は性的刺激に反応しない(勃起不全)や射精が行われない(極端な遅漏)といった問題である。

個人の価値観にもよるが、性的興奮を催す対象は人により様々であることから、その人の性的嗜好にも絡んで、見当違いな刺激を与えている場合には、やはり興奮することができない。自慰では達することができるが、性交渉では達することが出来ないというケースも報告されているが、それらを不感症呼ばわりして欠陥のように扱ってしまうと、ストレスの元にもなるので、注意が必要だろう。

性的不感症は、当人にとっても、その相手にとっても、多大な精神的ストレスを与えやすい。さらに、これらのストレスが状態を悪化させる事もあるため、性急な解決を求めるのは逆効果である。過剰に刺激して反応を引き出そうとするより、少し間を置いて気分転換を図ったり、焦らず時間を掛けて事に及んだりする事で、すんなり解決する事も多い。

なお女性のオーガズムに関しては、婦人雑誌などで行われたアンケート(『モア・リポート』(集英社)など)によれば過半数の性交においてオーガズムに達していないとする話もあり、一概にオーガズムに達していないからといって、不感症だとは言えない。また男性においても、体位や射精にいたる興奮の度合いで達し方に明確な差異が見られる。更にどちらの性別においても、性的な感覚は体調に影響されやすく、また精神状態には相手に対するイメージやムードといった要素にも影響されやすい。

愛撫を工夫するなど、新しい方法を試すのも一つの手段ではあるが、あまりムキになるのは逆効果なので程々にしたほうがいいかもしれない。よい性交渉では、十分なスキンシップ(→後戯)も重要視される要素であり、必ずしもオーガズムに達することのみが目的とは言いがたいためである。
2011/03/14 (Mon)
私は縁あって銀座に事務所がある。最近、そのすぐそばのギャラリーで、画家の堀文子さんの展示会があった。堀文子さんの絵を見たのは初めてだった。84歳を超えて、なおスケッチブックを片手に絵を描き続ける堀さんのファンは多い。先日のテレビ番組「徹子の部屋」にも出演されていた。

ギャラリーといわれる所にこれまであまり縁がなかった。しかし、行ってみて驚いたのは、大勢の人がひっきりなしに訪れ、身動きができないほどの大盛況だったことだ。しかも、来場者の8割近くが50代から60代の女性グループだったことも驚きだ。

銀座の昼は中高年の女性が目立つ。銀座といえば「ショッピングの街」のイメージが強い。老舗やブランド店が、大通りから脇の小道まで、実に多くのバリエーションをなしている。しかし、銀座は実はショッピングだけの街ではない。小さな画廊やアート・ギャラリーが、街の至る所に隠れ家のようにある。そして、今回のような小さな展示会が毎日のようにおこなわれている。街全体が「小さな美術館」の集合体だ。そして、その小さな美術館への来訪者の大半が中高年の女性である。

平日の昼間は、会社勤めの男性はなかなか顔を出しにくいだろう。しかし、退職した男性であれば、時間の面では不可能ではない。事実、ごく少数だが、年配の男性の姿も見られた。しかし、絶対数において男性が圧倒的に少ない。これはどうしてだろうか。

考えられる理由の一つは、このような展示会が開催されていることが、ごく少数の愛好家を除くと、中高年の男性にはほとんど知られていないことだ。私の場合は、ユーリーグ発行の「いきいき」という雑誌で知った。この雑誌は書店を通さずに24万部近い発行部数があり、その読者の8割以上が50代以上というユニークなものだ。しかし、実は、この雑誌の読者の96%が女性である。だから、この雑誌を通じて堀さんの展示会があることを知った男性は、自分も含めてきわめて少数派である。

二つ目の理由は、そもそも、このような展示会に直接出向こうという人が年配の男性に少ないことだ。例外はあるが、一般に女性はグループで来る場合が多いのに対し、男性は一人で来る場合が多い。たとえば、千葉や埼玉、神奈川などに住んでいる人が、都心でおこなわれるイベントに参加しようと思うとき、専業主婦だった女性と都心に通勤していた退職サラリーマンとでは参加の動機が異なるようだ。

専業主婦の場合は、ようやく子育てが一段落し、自分の好きなことに時間をかけられるようになる。普段は千葉や埼玉などの地元の店に「日常の生活」のための買い物に行く。したがって、銀座に出かけるというのは、めったにない「非日常の体験」となる。もちろん、堀文子さんの生の絵を見たい、という意思はあるが、それがないとしても、銀座に行くこと自体に目的がある。だから、多少時間がかかっても、はるばる出向いていく。

これに対し、退職サラリーマンの場合は異なる。よほど自分がその分野を好きでない限り、わざわざ都心まで出向く気にならない人が多い。サラリーマン時代、通勤で散々つらい思いをした電車に乗って都心に行くことが嫌だという人もいる。あるいは展示会は興味があるが、それだけのために、わざわざ時間をかけて出向くのは面倒くさいという人もいる。したがって、このような人は、雑誌や新聞等で展示会の開催案内を見たとしても、「手間・暇をかけてその絵を見に行こう」という行動に移らない。

銀座に来るも、来ないも、展示会に行くも、行かないも、個人の選択の問題なので、そのどちらが正しくて、どちらが誤りだということはない。ただ、私自身を含めて、中高年男性は、油断をすると堀さんのような素晴しい感性に触れる機会から疎くなりがちだ。特に、会社を中心軸においた生活を長く送っていると、物事に対する「不感症」になる危険性が大きい。

このような不感症になりたくてなる男性はいない。ただ、気がつくとそうなってしまいやすいと感じる人は多いはずだ。したがって、中高年男性をターゲットにしているメディアには、このような「サラリーマン不感症」を予防してくれる”力”のある作品への「つなぎ役」としての役割が求められる。ここでいう作品とは、美術作品だけを意味するものではない。

ただし、それは単に対象となる作品を紹介すればよいというものではない。その「力」とは、究極、その作品がもつ力である。それを、どのようにひきだして伝えられるかは、そのメディアの編集者の力量による。だから、これからの中高年向け雑誌・番組は、その力量で取捨選択されるだろう。以下は、私の琴線に触れた堀さんの言葉である。

この目で見たい、文明の発達のおかげで私達は、自分で行くことのできない密林や洞窟、深海や砂漠に住む生き物を居ながらにして映像で見ることができるようになった。ビデオで初めて見る未知の生物の不思議さ、美しさに感動すればする程、自分の目で見、耳で聞き、その場に立っていないのに識ったような気になっている言いようのない欠落感が私を不安にするのだ。(中略)私に必要なのは、ますます深まる生命の不思議を見つめる感性を研ぎ、日々の衰えを食い止めることなのだ。
残り少なくなった私の日々は 驚くこと、感動すること、只それだけが必要で、知識はいらない。

  2003年5月30日 Vol. 30 村田裕之
(ウインズ出版 堀文子画文集「命の軌跡」より)
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